カーゴニュース 2025年11月4日 第5384号
竹林の冷かに子と坐っている 白秋
白秋は北原白秋。関東大震災の後に詠んだ句。ある時、大学のサロンでコーヒーを飲んでいた東大出のベテランのK教授が「やってられんよ。大学で同級のHが今やあの大企業の社長だよ。彼の給料は僕の10倍だ」と言った。それを聞いていたこれもベテランのN教授が「でも、時間給でいうとあんたの方が10倍も高い。あんたは週1回しか大学に来ないじゃないか。それも授業を終えるとさっさと家に帰る」で、大笑い。2人ともに学会の重鎮であります。
 今年もノーベル賞に2人が選ばれました。心が浮き立つ気持。特に自然科学3賞の場合はそうです。多くの日本人は大喜び。とくに喜んでいるのは高市さんだったのでしょうか(マスコミの矛先が鈍る)。お2人はインタビューで面白いことを言われた。北川進さんは「無用の用」(荘子らしい)と言われた。これは柳宗悦の「用の美」と同じで実に含蓄のある言葉で、多分、今年の流行語大賞にノミネートされるでしょう。坂口志文さんは「国が基礎科学のお金をけちる」ということに対して「研究はお金だけではない」と言われた。北川さんは「日本にはまだまだ、ノーベル賞候補の優れた研究者がいる」と言われた。
 日本には昔から多くの基礎科学の研究者がいる。戦前のあの貧しい時代にも北里柴三郎、野口英世、志賀潔などノーベル賞でおかしくない人はたくさんいた。僕は国民性が関係していると思っています。日本人はなにかに凝って妙に変人的、オタク的に何に役立つかわからない研究調査に打ち込んでいる人を評価する風土がある。一生をかけて「ゴカイの生態」、「三角州の風の通り道」、「江戸の三井家の帳簿」などだけを研究している人がいる。僕の義兄は医者だが古代人の骨だけを調べ続け、それだけで一生を終えた。それでも医大の教授ということで豊かではないが一応普通の生活はできた。本人は面白い研究をしているつもりだろうが、はたから見ると「何やってんだ」ということになる。そういう人でも日本に600以上ある大学に採用してもらうなら、決して金銭的には恵まれないが(『ただのおっさんだ』北川氏言)、それでも小さな家を買い、子供を大学に行かせるくらいはできる。
 
 大学教員の年収は800万円くらいだと聞いた(30歳代なら500万円か)。それで自分の好きな勉強だけをしているなら満足だろうし、出世だの行政の委員会やテレビに出るとか、新書を書いたりはしない。研究の邪魔になるから黙って放っておいてくれ、と思っている(中には山っ気のあるのもいる)。これは東大でも中洲産業大学(?)でも同じです。そういう変人でも社会的には尊敬とまではいかなくても一応認めてもらえる。これは日本人の「職人好き」に近い。僕は現役時代、中国や韓国の大学教授たちと付き合いがあったが、彼らは「我々の社会的地位は低い」と言っていた。本当にそうかどうかはわからないが、少なくともオタク的な研究(役に立たない)をしている人はそうだろう。つまり、社会的にそれなりに認められている人たちは自分の好きな研究をしていることができ、そういう職業をみんなが認めてくれる。この社会的受容と評価が重要です。
 世の中には待遇は恵まれないが若者が好む職業があり、その反対もある。物流の世界はどうでしょう。トラック・ドライバーも給料は安くても楽しい仕事だったらね。    
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