カーゴニュース 2024年11月21日 第5294号
JR貨物の社長、会長だった伊藤直彦さんが亡くなられた。享年84。悪性リンパ腫だったというが、今年初めに元気な姿を目にしていただけに、不意打ちのようで衝撃がなおさら大きい。
長野県飯田市の出身。東大法学部を卒業し、国鉄に入社して生粋のキャリアとしての道を歩んだ。本人は弁護士志望だったが、幼くして父上を亡くされた家庭事情がそれを許さなかったと聞く。米国留学を経て、職員局厚生課長、貨物局営業課長などを歴任。国鉄民営分割後はJR貨物に転じ、関西支社長、取締役、常務、専務を経て、1999年に社長に就任した。衆目の一致する将来の社長候補として、順調な会社人生を歩まれた。
しかし、伊藤さんを駆り立てていたものは、JR旅客会社への強烈なライバル心だったように思う。自社でレールを持たず、過剰ともいえる要員を背負い未熟児のように誕生した貨物会社を何とか一人前の会社にしたい、そうした熱情が在任中の経常黒字達成という成果につながった。思いが強すぎるあまり、周囲を困惑させることもあったようだが、裏表のない、名前の通りの真っ直ぐな人だった。
東日本大震災直後の2011年には、日本物流団体連合会(物流連)の会長に就任。「物流に等身大の評価を」と口癖のように語っていたが、社会基盤としての物流の重要性がクローズアップされる今こそ、噛みしめるべき言葉だと思う。
私事になるが、弊社創業者の父・西村國紀が病に倒れたときも、親身になって支えていただいた。伊藤さんが本紙に連載していたエッセイを本にまとめる際、父が「蘭子」のペンネームで連載していたコラムとの合本にしたいと強く主張された。「西さんとの友情の証として一冊にしたいんだ」との言葉が忘れられない。
父が逝った後、愛用のネクタイ数本を形見分けとして貰っていただいた。伊藤さんが一線を退かれた後も業界の集まりなどでお目にかかると、耳元で「今日も西さんのネクタイを締めているんだ」と囁いてくださった。そんな優しい人だった。心よりご冥福をお祈りします。
(西村旦・本紙編集長)
購読残数: / 本
恐れ入りますが、ログインをした後に再度印刷をしてください。