カーゴニュース 2025年12月4日 第5393号
榧の実は人なつかしく道に降る 素逝
昔はマスコミにもよく登場し、業界や学界や官界でも中心にもいて、その朗らかな声や顔を聞いたり、見たりすることができた往年のマイナー世界のスターでもあった友人・知人たちはどうしているでしょうか。賀状が来たり、人づてに消息を聞くことはあっても、「そのうち飯でも食おうよ」と約束をしたがもう会うことはない。彼らは孤独なのだろうか。自由に街中を散歩しているのだろうか。
朝のニュースショー番組で「老人の孤独・孤立」を取り上げていた。社会的問題の老人の孤独や孤立は「よくない」というのがコンセプトのようだ。コメンテーターの玉川某が「僕の場合は…」と話していた。彼はまだ、若い、昨年、勤めていた放送局は定年退職をしたがキャスターとして売れっ子である。しかし、彼の言う高齢老人とは現役の彼の頭の中にある高齢老人以外の何物でもない。多分、この番組のスタッフも司会の羽鳥某もすべて50、60代で今の世界では働き盛りである。
所詮、「人は自ら経験せざることは理解能わず」と言われる。1000mの山に登ったことのある人には2000mの山は絶対にわからない、とか。わかるとしたら空気や気圧のデータとかを読んだり、聞いた話であろう。それを自分の1000メートル経験の延長上で考える。80歳以上の人のことはその歳になってみなければわからない。老人の孤独や孤立は悪いことなのだろうか。超高齢の人が書いた本を読むと「孤独を楽しむ」とある。負け惜しみなのか本音なのか。医者の和田某氏は自らの経験でデータによる老人を語り、説得力があるが、80歳代の生き方を述べると「なんだ、自分は60歳代の現役ではないか、わかってない」と80翁は思う。
かつて、第一貨物の故武藤幸規さんは僕に「88歳まで生きて仕事をする。その後は何をしようか」と言っていた。洋紙商社の最大手「竹尾」の竹尾稠君は80歳を超えても社長はやめず、我々友人は「早く社長をやめろ」と言っていたが、やっと昨年、会長になった。「俺は毎日、会社に来てCEOをやる」などと言っていたが、我々は「あれは病気だ」と言った。極東証券の菊池広之君は、80歳になって会長になったが、社外活動で忙しい。オーナー社長はそれでよいだろう。では、大多数の社員はどうだろう。雇用延長で65歳まで、やがて70歳までは仕事ができるようになる。でも、その後は長い。多くの人には20年もある。それをどう生きるか。この高齢社会では若い労働力と2~30年も会社の基板を作ってくれた功労者の退職社員のことも同じように考えたいものである。「退職したら後は知らない」では済まないかもしれない。会社は退職社員たちの老後を考え、何かの施策を講ずべきではないか。大学のホームカミングデイ程度のものでは情けない。大学では長年勤めた教員に対しては何もしてくれないが「名誉教授」の終身肩書をくれた。世間様はその肩書を見て「現役だ」と思ってくれる。それで「何かやれ」ということか。
何をするか、孤独かそうでないかは個人の問題である。企業も長年働いてくれた功労者のために何かの支援をしたい。トラック協会も同じである。そのための委員会か支援課くらいは作っても罰は当たらない。〝孤独を楽しむための場〟を提供してもよい。現役のあなた、75歳はアッという間ですよ。今のうちに手を打とう。
プルデンシャル保険の吉村さんから手紙が来た。「18歳と81歳の違い」とある。「18歳は恋に溺れ、81歳は風呂で溺れる。何も知らないのが18歳、何も覚えていないのが81歳…」とあった。何をか況やである。
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