カーゴニュース 2025年9月2日 第5367号
知事殿の帽子なでたる柳かな 漱石
夏目漱石の時代は地方自治体の知事さんも中央から派遣されるお役人でした。偉い人だが漱石の見方は柔らかい。特に偉いと思ってはいないようだが親しみは感じられる。少しからかっているようにも見える。今はどうでしょう。知事でも市長でも妙に戦闘的で、親しみの対象とはならない。それはマーケティングでいう「市民に対してターゲット(市場標的)の絞り込み」を行い、そのターゲットの利益のためにそれ以外と敵対する態度をとるからか。これはトランプさんにも当てはまるのです。西欧諸国もそうでポピュリズムの結果でもあります。妙にギスギスした関係が生まれる。これは国会議員でも同じ。のどかさとか和やかさがない。
涼しくも生きながらえて紅つけて 虚子
これは高浜虚子が子供たちと北海道へ行ったとき、列車の給仕のお嬢さんに贈った句です。このお嬢さんは前年、大怪我して死にそうになったが今ではすっかり良くなり元気に列車で働いている。「よかったね」ということだが、今時、飛行機や新幹線で忙しくトンボ帰りの偉い人で、現場で働いている人と和やかに会話をし、こういう声をかけてくれ人がいるだろうか。
どうも、世の中全体が和やかではなくなっている。一昔前のいろいろあってもおっとりとした関係が薄くなっているようです。自然環境、社会環境が厳しくなったせいもあるだろうが、国民が小さな同質グループの中で分散しているようになったからかもしれません。大きなマーケットがなくなり、小さな「共感共同体」に分かれてきているのかも。グループごとに孤立し、自分たち以外のグループに敵対するという意識が強くなっているのかもしれません。
行政施策を見ても「改正物流法」などその色合いが出ている。これまでの物流施策については「みんなで物流を改善しよう」という(できるかできないかは別として)色合いだったと思いますが、今回の改正物流法全体を見ても何となく「悪いのは荷主企業であり、その誤りを正すトラック業の戦い」のような気がします(僕の僻目か)。許可更新制も「悪いものの排除」のような気がする。
考えてみると世の物流システムというのは各財について生産から消費までの間の流れにおいて「集荷分散」、「在庫の入れ替え」、「荷受けと出荷」、「複数財の積合せ」、「小口化への傾斜」、「各段階での検品・入力」、「輸送機関の交代」などを組み合わせて、「トランスファー(移動)」と「トランスフォーム(形態、方向、時間などの変化)」の作業を何度も繰り返して最終目的地に持っていくのです。当然、そこにはアイドリングタイム、細かい荷積荷降しの作業、流通加工、各作業との接続、生産・販売との時間合わせなどが生じる。これらを正して、すべて一気通貫、接続時間のマッチング、荷姿の標準化などできるわけはないし、大体、そういう宿命なのが物流であります。「流れるような物流」など、特別な財か、よほどの大企業でないとできない(その場合も下請け企業にしわ寄せがいく)。時間調整や道具付きの手作業などまず、物流での「つきもの」です。したがって、こうした非効率な作業の問題はそれを「だれが行うのか」と「その発生する費用をだれが負担するか」であります。もし、トラック業が行わなわなければ荷主が行う。その場合、運賃から引かれるのか。トラック業が行うならその分の費用を委託費(運賃料金)で払ってくれ、と要求すべきです。仲良く分け合おうということで敵味方ではない。穏やかで、のどかな物流関係が欲しいものです。少し笑顔が出てくる楽しい物流話が欲しい。
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